パチンコ屋さんの仕事は波が物凄くありました。
一度、その元請さんは民事再生なんかもしてました。
その時は7桁の金額を貰えなくなったりしました。
ですが、その後もやめれば良いのに続けてしまいます。
時代がそうだったと言えばそれまでですが、
下心として売り上げが欲しかった。人間だもの。
そんな足元を見られて断りきれない自分の弱さがバレてて、上手く使われてたのかもしれません。
そんな元請さんですが、何故か再び勢いを増していきます。
が、仕事が沢山ある所には沢山営業がやって来ますし、業者の紹介なんかも多かったのだと思います。
大手同業他社が参入してきます。
当時、何件かの元請さんが倒産する様な時期でしたので、会社の売り上げ的にはやっぱり欲しいなぁと思っていました。
しかし、段々とエゲツない安値に突入していきます。遂には競合他社がウソみたいな値段を提示してきます。
大手同業他社が体力勝負に出てきました。
やればやる程赤字になるのが見えたので、少しパチンコ屋さんの仕事から疎遠になりました。
その時にはもう、監督さんや、他業種の方とも苦労を共にした仲間みたいになってましたので、さみしい限りでした。
競争に負けて代表に選ばれなかったサッカー選手みたいなもんです。
ちょっともう遅いネタですね。
そして、それだと売り上げが追いつきません。
そこで、建材屋の仕事に手を出して、その下請けとしてやらせて貰ったりしました。
ゼネコンさんの仕事でした。
基本的に自分が職長として入るので朝、昼、夕方と現場事務所に顔を出します。
パチンコ屋さんの現場はある意味昭和時代のチームワークだったので随分と勝手が違う世界でした。
ほぼ全てトップダウンの管理社会でした。
職人はただの駒みたいなもんでした。
そうすると、現場を納める以外の、本業以外の仕事の方が大変でした。
現場事務所から偉い監督さんが双眼鏡で現場を見ては若い監督が走ってきて何かしら注意を受けたりもしました。
もう業務妨害レベルです。思っている半分くらいしか仕事が進みません。
彼らが気にしてるのは良いものを作る事よりも、何も事件がない事だったのかもしれません。
そして、時々、建築士さんや不動産屋さんなんかもいらっしゃいます。
その時、そのお二方に対する挨拶や質問は全て無視&薄ら笑いでした。
職人なんか、穢多非人かの様な態度に腹が立ちました。
ホントは坊ちゃんなのにね!
と、同時に、建築士や宅建主任者がそんなに偉いのか?と興味が湧きました。
そして調べてみると板金屋でも経験年数で2級建築士から取れる事が分かりました。
早速日建学院の門を叩いてみました。
その頃には腹が立ったのは忘れて、2級建築士に受かりたいと思っていました。
結婚してるのに1人暮らしを始めた32歳の冬の始めの事でした。