若い衆時代

※屁の話は前回でお仕舞いです。

実家であり、家業でもある天野板金工業株式会社に入社しました。

兄も含めて常に社員が7〜8人居る板金屋でした。

当時、自分の部屋が、親父の趣味のカラオケ部屋をちょっとだけ改装した場所で、そこは会社の事務所の隣で資材置き場の上でした。

なので、仕事が始まる音で目が覚めます。

ギリギリまで寝て5分で支度して下に降りると出社。

階段降りるだけなので出勤時間は5秒です。

さすがは坊っちゃんです。

その代わりと言っては何ですが、会社に住んでる様なモノだったので、欠勤することは出来なかった。

38度位の熱だったら出勤してました。

元気だったし、出ちゃえばなんとかなりました。

そして、基本的に盆と正月以外連休無し。

当時は(健全な)夜遊びが生活の中心でしたので、日中はとっても眠い。

『修行中の勤勉な弟子』って何?でした。

途中、これではいかんと思い、同業他社への修行の希望を出すも却下。

板金学校への入学を希望するも却下。

これはゴリ押ししとけば良かったと思う事案でした。

ただ、丁度輸入住宅が流行りだし、真夏でも容赦なく矩勾配や8寸勾配の屋根がバンバン続き、若いだけでも出番は沢山ありました。

例えばこういうの屋根↓

基本、屋根本体(カラーベスト)を若い衆がやり、先輩が板金役物を取り付ける為、ハサミもツカミも大して使う事無く3年程、身体を使って満足する様な仕事ぶりでした。

他には折板などの鉄骨の板金工事なんかも若い衆の出番なので、

鉄骨の現場がある時は違う先輩について、時には県外迄行くようになりました。

その先輩はその後1年程で独立して行きましたが、とってもブラックな先輩でした。

つづく

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