とりあえずブログが100記事になるまでは毎日投稿すると決めた僕ですが
何故ブログを書くようになったのかをお伝えしたいと思います。
因みにこのブログが97記事目です。
不安定な仕事
当社の状況
会社といっても夫婦でやっている超零細。
というよりも一人親方と言った方が早いかもしれません。
一人でまかなえない時は同業他者から応援を呼んだりして凌いでいます。
メインの仕事
住宅を主にやる板金屋です。
住宅会社やハウスメーカーとはあまりご縁がなく
設計事務所さんの仕事が8〜9割を占めています。
住宅会社さんなどに比べて工事の開始時期や工期が非常に不安定だったりします。
仕事への想い
若かりし頃
僕は板金屋の息子です。
常時7~8人居る板金屋でした。
当時はカラーベストやヨドの金属サイディングが全盛時代で最初の3年はそれらばかりでした。
7~8人も居ると雑用や単純作業だけでもかなりの仕事量です。
若い上技能も無い僕は3年程ハサミを使う事なくただただ仕事をこなすだけでした。
当時親の会社は忙しすぎてまんべんなく仕事をさせるというよりは出来る者が出来る事を
って感じだったと思います。
そしてハサミを渡されて半年後
鉄骨造の大型物件に一人放り出されました。このへんは以前のブログ
をよかったらご覧ください。
僕のスキル
鉄骨造の大型物件では段取り力は付いたのかもしれませんが
納めの技能はまあそこそこ。
折板関係の納まりやカラーベストならどんな形状の屋根だろうが納められるようなりましたが
板金の住宅用製品はほとんど経験してこなかったです。
だからハゼを組んで納めるって事もあまり知らずに来てしまいました。
トラディショナルな銅板工事なんて興味もなかったです。
いかに現場で省力化してそれなりに納めるかを考えていました。
要は現場慣れしてるただの作業員です。
それが僕のスキルでした。
建築雑誌
当時は親の会社が、お付き合いのある会社さんの仕事しか知りません。
それで良かったのですが
どうもつまらない。見た事あるものの繰り返し。
もっとこう出来ないかな?
こうだったら面白いのに。
と思うようになり、
車の雑誌ばかりの僕が本屋で建築雑誌を手に取ります。
まぁそこにはワクワクする世界が広がっていました。
僕が目につく素敵な建築には素晴らしい板金仕事が必ずありました。
初めてこの仕事が面白くてステキでカッコいいと思いました。
そこから建築の本を良く見るようになり
どんな納めをしたら雨を漏らさずにこんなデザインが出来るのか自分なりに考えるようになりました。
独立して
やりたい仕事はステキな住宅の板金工事。
当時ステキな住宅を見ては
「俺だったらこうする。もっとカッコよく出来る」
と思いながらもただの独立仕立ての実積の無い一人親方のに僕にはそんな仕事は降っては来ません。
しかし僕がやりたくて仕方ない仕事をもんくを言いながらやっている同業の方も多々いるのも知っています。
それが悔しくてヤキモチで営業活動もやりました。
時にはメールで
時には電話&飛び込みで。
当面の目標
もう近場のステキな住宅は全てやりたい。
面白い建築だったらどこへでも行きたいです。
しかし
僕の事を知ってて採用されない訳ではなく
そもそも僕が知られていない。
『もっと早く知ってればね〜。』
が無いようにするにはどうしたらいいのか?
とは思いつつも日常に忙殺されて悶々としつつもそれなりに幸せに過ごしていました。
つづく
それでもホームページ作ったり
妻がブログ書いてみたり動画作ってみたりと
手探りで色々と試してみたお話をしたいです。