パチンコ屋担当時代

輸入住宅の屋根のカラーベストが全盛の頃に出会った妻とも順調だったり、そうでは無かったり、

社交ダンスを始めたり、結構ハマったり、

母親が倒れたり、癌で他界したり、

結婚したり、入籍したり。

それなりに色々ありましたが、ある時、パチンコ屋が3件重なりました。

それぞれ、神奈川県、埼玉県、千葉県でした。

それより前から決まってた自分達の結婚式とも被りました。

代わりの人材が居ないので新婚旅行は諦めました。

今なら絶対行くべきと思うので、

行っちゃえば良かったなぁと思いますが、

当時は『自分が、やらなきゃならないからそれが当然!』って思ってました。

ただのブラック自慢の自己満足ですね。

その時は運転の達者な若い衆と2人で動いていたので、運転してもらってる間に、電話連絡や注文の電話をしたり、宿泊施設の予約や、会社とのやり取りをしていました。

当時、スマホなんて無いので宿泊施設はトラックに付いてるナビの検索が頼りでした。

酔いますね。あれは。

そして宿泊施設の名前が紛らわしいとラブホテルだったりします。

『予約、男5人』とか言うと、軽くキレられます。

(あ、あっちのホテルか。)

と思って電話を切ります。

話を戻します。

とにかく人手が足りないので工事的にはなるべく他業者が入る日程を聞いての受身の段取りで、同じ現場に3日と居れなかったです。

それでも荒い現場の割には他業者さんや監督さんには非常に恵まれて良くして貰いましたし、

遠方の現場でしたが時々会社の職人さんや会社手配のスーパー職人がが忙しい中来てくれました。

でも、仕事量的に全く追いつきません。

それから職人さんを探す、紹介してもらうのも重要な仕事になりました。

来てくれて有り難いので、夜も接待しました。

職人さんがメインで、オマケで監督さんを呼んだりしました。笑

母が他界してからは僕が会社の役員になったので尚更『自分がやらなきゃ!』でした。

頼るスキルが低すぎますね〜。

結果、身体もガタガタでした。

とにかく仕事以外の思考が出来てなかったです。

そんな一方向しか見えないアホなので、

僕より先に妻が倒れました。

でも、

忙しかったので(こんな時になんで!)ってイライラしました。

またやる事が増えるって思っちゃいました。

旦那失格ですね。

考えてみると、殆ど家に居ない旦那の実家に居て、昼間事務仕事して、夕方は親父に連れ回されて、夜家事をして、自分は風呂も入る前に寝落ちしちゃう様な生活でした。

遂には妻家出しちゃいました。

略して『妻出』です。

離婚の危機です。

家出先にお迎えに行くも『もうやめたい、離婚したい。』と言われます。

でも、それでも仕事の事が頭から離れない僕は

まぁいいや。って思っちゃいました。

仕方ない。でも、仕事を何とかしなきゃ。って思っちゃいました。

今の自分が見てたらカンチョーしてやりたい。

そんな31歳の夏、それが変化への軋みだと知る由も余裕もなく、それでも自分が正しいと思いたかったちょっとイタイ思い違いでした。

アイタタタタ。

thuzuku,

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